定期観光バス体験 3

 2016-10-20
更新が大幅に遅れてしまい、申し訳ありませんでした。
やっと、ブログ更新に向かう気力も出てきました。

さて、定期観光バス体験 の3回目、終了です。
今回も縮小画像なので、クリックしてご覧ください。

城下町の松前町から追分節で有名な江差へ向かいました。
過去何度か通った道でも、津軽半島や 松前大島・小島はお天気具合で
一度も見たことも無く、ましてや奥尻島もいまだ見たことが無かった。
が、今回は晴天で、それら全てが日本海の大海原にはっきり見えました。
残念ながら窓の開かない走行中のバスからは撮れなかった。

江差は江戸時代から早くに開けた町で【江差の春は江戸にも無い】といわれるほど
ニシン漁で賑わい栄えた町です。   江差町の公式HP

町の地形は傾斜があり、高台地域には 【いにしえ街道】 という、昔の江差の町並みを
再現した一角があり、歴史ある古い商店や建物が並んでいます。
町の両サイド方向。
いにしえ街道1  いにしえ街道4

右は江差町会所会館。 左写真は商店かな?
いにしえ街道2  いにしえ街道3

上の左写真の間から見える、おしゃれな建物は旧檜山爾志(きゅう ひやま にし)郡役所。
↓時間がなくて見学ができなかった。 右は江差港(船はイカ釣り船)
旧檜山爾志郡役所  江差港
漁港の釣り人のバケツにはイワシがいっぱいで 一度に二尾釣れていました。

江差の旧家【中村家】ここの内部はガイド付きで見学できました。
中村家は坂道沿いに長い住宅で、奥突き当たりは、昔海に突き出ていて
直接ニシンを運び入れたとか。
旧中村家2  旧中村家1
右写真の道路は 昔海だったところを埋め立てたらしい。

江差といえば江差追分節ね。 写真は追分会館。
追分会館1  追分会館2
このツアーの二日後は 江差追分全国大会で、のぼりも立っていた。

ツアーコースには追分を生で聴くことが入っていました。
写真は追分節の歌いと 館内に設置の追分節の大きな楽譜。
追分を聴く  江差追分楽譜
追分を聴いていた観客には通訳と一緒に 欧米人らしき家族3人がいました。

また、江差には北海道最古と言われる 姥神大神宮 があり、祭典で引かれる
山車が有名で、この会館に設置されています。
山車  山車ミニチュア
写真右は展示されている山車のミニチュア。

江差と言うと、追分のほかに、幕末の軍艦【開陽丸】が沈んだところ。
今回、時間的に開陽丸見学は無くてこちらも残念でした。
左が写真が開陽丸(復元)で、右は開陽丸終焉の地の石碑。
開陽丸  開陽丸終焉の地碑
石碑文字が見えづらいので以下に書きました。

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開陽丸終焉之地
旧幕府海軍旗艦開陽丸は、明治元年(1868)11月15日、この沖合い200メートルに座礁した。
この開陽丸は、オランダに発注した、当時 最強最新鋭、近代日本海軍の
創出に連なる軍艦であった。
日本に回航された慶応3年(1867)は幕府苦悩の時であり、明治維新の胎動ともいうべき
戊辰戦争に巻きこまれていくことになった。 すなわち、開陽丸は、北海道に
新天地を求める榎本武揚ら徳川家臣団によって函館戦争に参戦、松前藩経済の
中心地江差に投錨した。
しかし、不幸にして暴風雨に遭遇、遂に十数日後その英姿を海中に没したのであった。
榎本をして、「暗夜にともしびを失う如し」と嘆かせ、悲願を挫折させた
開陽丸終焉の地は、ここ江差である。

               昭和59年 10月
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開陽丸の概要

船 型  バーク型3本マスト 400馬力補助エンジン付 
排水量  2,590トン
規 模  長さ 72.80メートル 幅 13.04メートル
装 備  大砲26門(うちクルップ砲18門) 
乗務員  約400名
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日帰りバスツアーは江差が最後の滞在地で 総勢5名はバスに乗り函館へ向かいました。
帰り道は山道経由で途中、 函館戦争の古戦場である二股口 入り口を走行中の
バスの窓かチラリ~ 実際に見てみたいところです(熊が怖いけど^^;)

山道を下り、遠くに函館の町が見えてきました。
終点の駅バスターミナル到着は18時頃で、約10時間の日帰りバスツアーが終了。
同行の4名の皆様とお別れの挨拶をして、私は自宅へ。

駅舎の後ろに夕焼けが残っていました。 右写真は江差で見た吾亦紅。
夕暮れの函館駅  ワレモコウ

春から狙っていた日帰りバスツアーも無事終了。
当初、7000円はちょっと高いかなと、終わってみると十分価値がありました。

本日もご訪問ありがとうございます。

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