思い出の地へ

 2017-05-17
先週一週間は母の納骨で里帰りでした。
妹とその娘A美、14年前亡くなった三女妹の娘A子も神奈川から出席し、
法要、納骨も無事おわりました。

以前から妹と話し合い、母と三女妹も一緒だった思い出の地へ行くことに。
思いっきり遠出した定山渓は、十数年前も 母、妹、A美と4人で行った温泉地。
今回は母の代わりに一番のおばあちゃん子の三女妹の娘、A子が一緒でした。
この日は雨空でホテルから出ることも無く、温泉でふやけていました"^_^"

縮小画像なので クリック拡大して ご覧ください。

実家の町はまだ、桜も咲いていて青空に映えていました。
さくら1  さくら2

ホテルの窓から外をみると、山肌の柔らかな色の中に桜が彩りを添えています。
窓の外  枯れ木
よく見ると、枯れ木がうまい具合(?)に奇妙な動物に見えました^^;

温泉の帰路、エゾ富士・羊蹄山を撮るのを楽しみにしていた中山峠では
10m先も見えない霧の中で、撮影は断念。
その分、洞爺湖高台の レイク・ヒル・ファーム に寄り、ソフトクリームを楽しみに(^o^)

途中にある、【きのこ王国】のお店できのこの瓶詰め二個購入。
きのこ販売店  洞爺湖
洞爺湖は、あいにくの曇り空でエゾ富士も見えなかったのですが、
湖面は穏やかでした。

レイク・ヒル・ファームの店舗の前はやがて、季節の花で埋まります。
建物の横は広々とした緑地。
レイク・ヒル・ファーム  緑地2
晴れていると、ここからエゾ富士がくっきり見えます。
2008年の洞爺湖サミットでは、レイク・ヒル・ファーム裏手に各国首脳が到着するための
ヘリポートが作られました。

ここではヤギやパンダうさぎが飼われている。(パンダうさぎは以前の画像から)
このレイク・ヒル・ファームのお勧めは何といっても豊富な種類のアイスクリーム。
勿論、私たち4人もそれぞれの好みをいただきました。
パンダうさぎ  緑地1
この日も団体バスでアジアの観光客が大勢でした。

レイク・ヒル・ファーム横の風景も 私のお気に入り。
白樺の若葉も芽吹いています。
牧場2  牧場1

裏へ回るとそこは酪農牧場でした。
牧場4  牧場3

レイク・ヒル・ファームは お花の時期には早いので入り口にはたくさんの鉢植えの花が。。
花6  花4


花2  花3  


花5  花1

里帰りの後半はお天気もイマイチだったけど、妹や姪たちと4人の二日間は
もう、二度とない、最初で最後の時間だったと思う。
神奈川の姪は『おばあちゃんの一周忌には来れないかも知れないし、
多分、おばあちゃんの家にはこれが最後だと思う』と帰って行きました。

そんな、悲喜こもごもの思い出をたくさん作り、私も帰路へ。
帰りの特急はスーパー特急ではなく、ただ(?)の北斗に乗ったので
最後尾から景色が見えました。
行きはスーパー特急で無理だったけど、帰りはかろうじて日本一の秘境駅[小幌]駅の
上りホーム(?)がちょっとだけ撮れた(左画像が小幌駅ホーム)
小幌駅  静狩トンネル
トンネルネル内が白く見えるのは、列車の窓の傷と汚れが写りました。
ここの区間はトンネルが多く、あっと言うまに次々トンネルに入ってしまいます。

いつか、この秘境駅[小幌駅]に降り立ってみたいな、と思いますが、
想いがかなう日はくるのかしら。。

本日も ご訪問ありがとうございます。

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日高山脈の雪崩事故

 2017-04-22
2~3日前朝、NHKのローカル番組で帯広地方の映像が映し出されました。
真っ青な空に雪をいだいた日高山脈がとても美しく『あぁ、、きれい』と見ていた。
その瞬間、あの山のどこなのか、と思い出したことがあった。

1965年(昭和40年)3月、北海道大学山岳部が日高山脈で大雪崩にあい、6名が犠牲。
大学生の雪山遭難事故も大きく報道されたけど、雪崩に埋もれた中で三日間生き抜き、
山地図の裏側に書かれた沢田リーダー(農学部4年生)の遺書が大きな話題になりました。

今回ネット検索でみつけた[元山岳部 部長の登山講座]から。
事故の概要  と 沢田リーダーの遺書

私のぼんやりとした記憶では当時の新聞にその遺書の写真があったように思います。
沢田リーダーの遺書を基にした歌がレコードになり、私は今でも歌えるのは
若い時の鮮烈な記憶は50年過ぎても覚えているものですね。
探すとYoutTubeにあったのですが、画像はやめてリンクだけ。。

俳優の浜田光男さんが歌っています。  おかあさん、ごめんなさい

また、別サイトには『彼等は必ずしも危険な所で雪洞をつくって
露営していたわけではない。
その後の調査によるとこの雪崩は、走行約3km、デブリの長さ1km、 幅30-100m、
量約40万トンの日本国内の雪崩としては最大級に属するものと推定された。』
とありました。
数日前のテレビに映しだされた日高山脈の映像が とても強く印象に残っています。

2年前の11月中旬、実家の母、妹との3人で地球岬へ行った時、
秋晴れの太平洋の彼方に もう雪を載せた日高山脈が見えた。  
 日高山脈

この日の日差しを受けた太平洋と地球岬。
海向こうの陸地の裏側が私の住まいする町。
 地球岬灯台
 
母と一緒に見た地球岬の風景は この日が最後でした。

先月、3月27日、栃木県那須町湯本のスキー場でおきた雪崩事故。
登山講習会に参加していた高校生と教諭の8人が犠牲になりました。
今もその事故の検証が続いているとのことだけど、失われた命は もう戻りません。

* すみません、コメントは閉じさせていただきましたm(__)m

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母の手帳

 2017-03-17
先週は実家の母の百日忌にあわせ、また母の遺品整理をしてきました。
去年、母が入院中と葬儀のときに、かなりの量を処分したので
今回は前回まで処分できなかった家具類や母の衣類、食器などを出してきました。

去年、断捨離、遺品整理で実家にとっては歴史的遺産と思えるような
私が一度も見たことの無いものも多く出てきました。
その中に【母子福祉手帳】があったのです。
一家の大黒柱の夫(父親)が亡くなった母子家庭のための手帳でしょう。

  母子福祉手帳

中を見ると、昭和45年(1970年)略暦とあるので47年前、私が21歳の頃です。
父が亡くなったのは昭和34年なので、手帳は毎年交付されたのかしら。。
暦の表記に昭和45年と西暦1970年の他に紀元2630年もありました。
手帳には母に頼まれたのか、私が青インクの万年筆で書いたと思われる記述もあった。
でも、私には全く記憶がありません。

[おぼえ]のページには鉛筆で書かれた母の直筆で 姓名、住所、電話番号が書いてあった。
その下の[家 族 生 年 月 日]と記されたところの[ 年 月 日]の隙間に母は
45年3月30日と記入し、家族生年月日欄は無記入だったのは、間違いに気づいた母は
そのままにしたのか、娘たちの誕生日を忘れたのか。。
手帳には当時の預貯金利率や国民の祝日(12日間)、母子福祉法に関する記述もありました。
もっと驚いたのは、全国未亡人団体協議会制定の【全国未亡人の歌】があったこと。

  手帳裏

1~3番まであるのだけど、長くなるので1番だけね。

  よせ来るあらなみ 雨風吹きつのる 夜半(よはん)も
  心のともしびを 消さずにまもる者 来たれ
  いとし子 肩にせおいて 明日の希望に ほほえむ
  ああ われら未亡人 かたく かたく 結ばん

戦時中をイメージする悲壮感漂う歌詞に ちょっと何だかなぁでしたが、昭和30年代に
子供だった私には当時の母子家庭への世間の風当たりは、理解できるのです。
ここ数年、この手帳の存在も母の記憶には もう無かったかもしれません。

やっと春らしい日差しを感じます。
二日前、歯科通院の帰りに見た白樺も、青い空に白い幹が映えました。

  白樺

本日もご訪問ありがとうございます。

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後片付けで

 2016-12-11
入院中の母が11月27日に亡くなり、入院中に私の町から実家を3度往復しながら
病院と母の家の不用品の処分に毎日が明け暮れていた。

ふと、気づいたのは、生前の整理・処分は断捨離と言い、
亡くなってからは遺品整理と、表現が変わるのだなと・・。
で、母の断捨離中のほとんどが、日々の不要な生活用品なのに比べ、
遺品となると、押入れの奥や、ふだん存在を忘れている引き出しを
開けることになる。

母は何でもしまいこむ人だったから、そこには私の忘れていた写真や手紙、
私の全く知らなかった実家の過去の歴史が いくつも沸くように出てきた。
そのひとつに古い紙幣と硬貨。

500円札-6枚 100円札-6枚 EXPO'70記念100円硬貨-1枚
昭和天皇在位50年記念100円硬貨-1枚
穴の開いた50円硬貨-10枚  昭和30年発行の50円玉-1枚(50円)
合計 4,350円 。。。

  古いお金

父の仏壇の引き出しから出てきました。
なぜ 母がしまいこんでいたのか、生前の母も忘れていたかもしれません。

それと、ぴんからトリオの【女の道】のレコード。
でも、ジャケットの袋には私の自筆で名前が書いてあった。
私には全く記憶がない。 たぶん、20代のころと思う。
このテのジャンルの歌は好みではなかったから、なぜ?と、不思議です。

  レコード

あのころは、レコード一枚が500円だったのですね。

もっと、驚いたのは昭和34年10月14日に亡くなった父の葬儀での
お香典帳が出てきたことで、全て墨で縦書きに書かれ数字も漢字です。
昭和34年頃の実家地域のお香典の平均相場は500円でした。
当時11歳の私には全く知らないことで、亡くなる前の母も忘れていたかな。
一通り目を通し、また仏壇の引き出しに戻しました。
もう、しばらくは見ることもないでしょう。。

正月が過ぎ、落ち着いたらまた実家へ行き、再度の遺品整理があります。
よく、三回忌が終わるまで落ち着かないといわれるけど、そうかも知れません。

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バイクの思い出

 2016-08-01
きょうから8月。
口癖になるけど、どうして こんなに時間が、日にちが飛ぶように進むのでしょう。

町に出ると、北海道外ナンバーの車、バイクが目立ちます。
最近のライダーは中高年が多いですね。
黒ヘルメットにサングラス、ナナハンクラスの黒の大型バイクが数台連なって。。
若者よりも多いと思います・・・ カッコいいんですよ~^^

そのバイクを見ていて、ふと、思い出したことがありました。
十年以上前のこと。
長男(20代)の車に乗り、買い物に行く途中で口げんかになったのです。
当時の長男の車はソアラでした。
イライラした長男はアクセルを踏み、で結構なスピードになりました。

まもなく後ろからサイレンの音。。。
はい、白バイに止められましたヽ(ToT)丿
『どうしたの。ここの制限速度は40Kでしょう』みたいな事をいわれました。
で、私が「親子ゲンカしてました」と事情説明すると、次から気をつけるように、と
注意だけで許してもらったのです。

あ~・・白バイかぁ と、ちょっぴり ほろ苦い45年前の思い出がよみがえりました。

観光シーズンに市内を走るレトロな電車は函館ハイカラ号。

 レトロ電車

数年前、五稜郭で見かけた、レトロなボンネットバス。

 レトロバス

函館は 8/1~8/5 まで港まつりです。
本日もご訪問ありがとうございました。

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腕時計を無くした

 2016-07-22
5~6年ほど使っていた腕時計をなくしました。
どこで?  先日の大沼公園で落としたかな?

公園内のどこかで腕からはずしリュックのポケットへいれた、はず。
が、帰りに見るとポケットにはなかった。
無造作にいれて、その時点で落ちたのか、カメラに気を取られ置き忘れか。
どっちにしても、無くしたのです。

電池交換が面倒で、ソーラー電池がいいかな、文字盤見がやすく(ここ大事)、
当時、通販で購入の腕時計の外観はシルバータイプでベルトは黒レザー。
どこに行くのも一緒で、携帯わすれても腕時計は忘れない私です。

ん~・・ 外出時に左腕が妙に寂しい。
で、Amazonで手ごろな価格(ここも大事^^)のソーラー腕時計を ポチッと。
無くしてから、一週間後には新しい腕時計が到着。

 ソーラー時計

時計の歌といえば【大きな古時計】 昔、NHKのみんなの歌で聴いたのが初めてでした。

  

なんか・・懐かしい。
私が11歳の時に亡くなった父を思い出します。
父は旧国鉄職員だったけど、自宅では時計小売店から頼まれ腕時計修理をしていた。
瞼に丸い拡大鏡をはさみ、腕時計の修理をしていた姿を今もしっかり記憶している。

本日も ご訪問いただき ありがとうございます。

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今日の朝ドラから

 2016-04-09
びっくりぽん の「あさが来た」が終わり、今週から「とと姉ちゃん」がスタート。
前作の流れで見ている。
今日から、とと(お父さん)が亡くなったあとの家族の暮らしが始まった。
かか(お母さん)と娘3人がテーブルを囲んでの食事風景。。
あ・・・ と、57年前の私の実家風景とかさなり、当時を思い出した。

昨日のカメラ散歩にて。
 散歩道で
名前が解からない。

父が亡くなり、葬儀など、あわただしい数日が過ぎたころ。
今日のとと姉ちゃんの場面と同じように、テーブルを囲み、お昼ご飯をたべていた。
テーブルは手先の器用な父が作った円形で、がっちり頑丈にできていて、
ご飯は、ほうれん草の入ったおじやだった。

ラジオから流れていたのは、NHKの「昼の憩い」の番組始まりの曲。
この曲は何十年と変わらず、数年前聞いた時に一気に11歳の時の
あの場面が蘇った。

母がうつむき無言になり、しばらくして「お父さん いなくて これからどうしよう」
そういうと、母は涙をぽろぽろ。。
私11歳、次女妹9歳、三女妹8歳。
あの時の私の気持ちがどうだったのか、今は思い出せない。
母の涙を見たのはこの時と、三女妹が亡くなったときだけ。

でも母は、女は強かった。
出不精の母は友達も数人、学歴もない母が働きに出た。
今の時代なら公的な経済支援もあるけれど、当時の社会は
母子家庭と言うだけでも陰に陽に差別は存在した。

でも、その母のおかげで、今日の私たち三姉妹はある。
残念だけど13年前に末っ子の妹を亡くしてしままったが、私と次女妹で
母を支えるのが娘として当然のことと思う。
・・が、今は次女妹が近くで母を助けていて、私は長女ながら何時も
肩身の狭い思いをしているが、優しい妹に心も助けられている。

先日の大沼公園散策路からの駒ケ岳。
 駒ケ岳

実家の近くに隠れた梅園の名所がある。
今年も母と妹と3人で梅を観る予定をしていて、今から楽しみ。

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